これだけ長きにわたって書き綴ってきたJ2への奇跡ですが、これでも登場人物は全部ではありません。
チームにはマネージャーとか、トレーナー、通訳のスタッフがいます。それ以外にも、試合の日に帯同してくださるドクターや、記録の方も。
SC相模原には運営会社である株式会社スポーツクラブ相模原とは別にNPO法人があって、アカデミーやスクールなどの育成組織はそちらで担当しています。なのでスタッフにはこちらのNPOのメンバーも含まれます。
試合当日の準備はV-STAFFだけではなく、この育成組織の選手も手伝ってくれています。インターンの学生のみなさんも同様です。
さらに話を広げれば、ご協力頂いている行政の方々から、選手が交流してきた小学生を主としたホームタウンの子どもたち、タペストリーを飾っていただいている商店会、チラシを挟んでいただいている自治会。
またこの昇格劇の裏側で行なってきたスタジアム整備の署名には10万以上の人々からご協力いただきました。
そして今日だけではなく過去も。これまでチームを支えてきてくれた選手、スタッフ、社員、スポンサー&パートナーなどなど、これまでクラブを繋いてきてくれた人々の努力や協力、応援、理解があって今日の相模原があります。
まだ12年の歴史のクラブですが、すでに挙げ連ねるのは難しい状況です。
今回、2015年からしかクラブに関わっていない私に分かる範囲と、選手、スタッフに取材した範囲で構成させていただきました。
まだ感謝すべき人々が残っているとは思いますが、この場ではここまでとさせて頂きたいと思います。
それと大切なことを。
相模原には営業のスタッフが4名います。皆、前職があり、安定していたであろう道からこちらにきました。小さなお子さんもいます。
普段、サポーターのみなさんの前にでたり、選手と接点があまりないところで奮闘している彼らですが、特にこのシーズンのような観客動員が見込めない年において、彼らが日々努力しておつきあいを繋げてきたスポンサー&パートナーのみなさんの存在がなければ、そもそもクラブを持続させることも叶わなかったと思います。
アウェイの地でもあり、昇格決定後のピッチに立ち入ることができませんでしたが、次こそはホームで、その歓喜の輪に加わり、その人生の決断が報われて欲しいと思います。
そして最後に触れなければならないことを。
今回の昇格劇、あえて誰の貢献が一番大きかったか考えてみました。貢献という点では甲乙つけ難い人物が何人もいますが、この物語の起点に望月重良という人がいることは間違いありません。
ご存知のように山加の大将に頼まれて始まったクラブ。すでにあったクラブを手伝うではなく、イチから、相模原で、本当に草サッカークラブのような練習環境からスタートさせたクラブがJ2の舞台に上がります。
J3へは史上最速で加入し、J2へはライセンスを取得した初年度に昇格を果たす。もちろん監督、コーチをはじめ、選手たちの活躍により勝利したわけですが、その土台は彼の今日までに築き上げた経験や人脈、判断によって作られました。もう『持っている』としか言いようがないと思います。これでクラブのビジョン通りに、リニア開通イヤーにJ1に昇格することがあれば、もうそれは『神ってる』でしょうか。その時はどなたか映画化してください。
負ければ非難の対象となる監督と会長というポジション。勝った時には、その分、賞賛されてよいと思います。
奇しくも高校の先輩である、三浦監督、薩川コーチ体制の時に昇格しました。この物語、見方によっては、清水商業の栄光の歴史の1ページに含まれるのかもしれません。
あとがきすらも長くなりましたが、この素晴らしい機会を作ってくれたチームのみんなと関係者のみなさん、今治の地に連れてきてくださったクラブへの感謝を込めて、この先、栄光に包まれるであろう愛すべき小さなクラブの足跡を記します。
hori
# ここまで書いて、なべちゃんのことに触れてないことに気づきました。GKの渡辺コーチ。年末年始の忙しい時に電話で何時間も話を教えてもらいました。SPECIAL THANKSです!